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私は生まれも育ちもテキサス州ニューホームという町です。家族がクリスチャンでしたから、「本当の神様はひとりだけで、その神様が私たちを愛してくれていて、私たちの救い主になるために独り子イエス様を送ってくれた」ということを聞きながら育ち、7歳のときにイエス様を自分の救い主、そして主として信じました。そして、ニューホーム高校を1993年に卒業し、その秋からテキサスA&M大学で農業開発の勉強を始めました。大学に入ると、教会にもっと積極的に関わるようになり、イエス様との関係もどんどん深くなり、イエス様の弟子として鍛えられ、自分でも驚くほど成長することができました。 ところが2年生の終わりごろ、私の家族を悲しい出来事が襲いました。父がルー・ゲーリック病(ALS:筋萎縮性側索硬化症)という難病にかかっていることが分かったのです。それから1年半、この恐ろしい病気が父の命を蝕んでいく様子に、私とイエス様の関係は本当にひどいものになっていきました。心は怒りと恨みに燃えて、ついには神様に背を向けて心に壁を作ってしまったのです。 そうして4年生になった頃、父はとうとう亡くなりました。このとき私は疲れ果てて、とても孤独でした、心は何年も忘れ去られた暗く冷たい地下牢のようになっていました。父がどうしてこんなひどい死に方で死ななければならなかったのかこの時点ではまだ分かりませんでしたが、「この心をいやして、もう一度喜びをくれるのは神様しかいない」ということだけははっきりと分かっていました。そこで、どうして神様がこんなことを起こるままにしていたのか分からないながらも、それまで背負っていた怒りと恨みを地面に下ろして、「この深い悲しみから何とか解放してほしい」という思いで神様のところに走って帰りました。 私は驚嘆しました!神様はすぐさま私をその腕に迎え入れてくれたのです。こんなに早く私を赦し、心を癒してくれるなんて信じられませんでした。この体験が、それからの私をすっかり変えてしまうのです。 大学の4年目が始まって、私はそれまでとは全く違う人間になっていました。どうやって卒業できたのか自分でもわからないぐらい、学校で勉強するより神様に礼拝して仕えて生きることばかり考えていました。そして、その年の冬休みに参加したクリスチャン大学生の大会で、神様が「外国へ行って私のことを伝えなさい」とドラマチックに呼びかけてくれたのです。私はその呼びかけに応え、気づいたら卒業後2年間外国でイエス様を伝える仕事に応募していました。 それから2年間、北九州市にあるキリスト教の女子校でスチューデント・ワーカーとして働きました。そこで通訳やイベントで手伝ってくれたのがロッキーです。2年間の仕事が終わるまでには、「これから死ぬまで、ふたりで私が用意した仕事を続けていきなさい」という神様の導きにふたりとも気づき、2000年3月に結婚しました。 これまで本当に驚きの連続でしたが、これから先ももっと驚きの連続になることでしょう。これから物語がどう展開していくのか、楽しみでたまりません!
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